【校舎長紹介】突如現れたナゾの新校舎長の素顔に迫る!①

奈良生駒校・

皆さんこんにちは!

武田塾奈良生駒校校舎長の奥村です!

 

11月のいつぞやからか突然奥村なる新校舎長が現れてブログを更新しだしたのを見て、

なんだこのオッサン!とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。

 

今回はそのオッサンの紹介記事になります!(笑)

この記事では主に少年期~青年期の僕について書きたいと思います。

 

ゴルフインストラクター

↑あれっ?校舎長の奥村ってこんなだっけ?(笑)

 

自己紹介~僕の人となりについて~

ワタクシ、11月から配属になりました、

武田塾 奈良生駒校新校舎長の奥村(おくむら)と申します!

出身は南大阪泉州

奈良生駒校配属に伴って近辺に越してきました!

そろそろアラサーを感じ始めてきたまだまだ20代です!

趣味は野球観戦、3歳の頃からのゴリゴリのです(笑)

2005年日本シリーズの33-4の悲劇からもうすぐ15年!(笑)そろそろ優勝してほしいなと思っています。

マイブームはモンスターストライク!(笑)

皆さんが逆転合格を決めたらご褒美でフレンドになってもいいですよ(笑)

(※あくまでもゲームは勉強の息抜きにね!!)

最近ハマっているものは動戦士ガンダムSEED!(古っ!

小学生時代に本放送していたものをAmazonプライムで観ています(笑)

好きなモビルスーツはストライクガンダム、フリーダムガンダム、イージスガンダム、デスティニーガンダム、レジェンドガンダムあたりですかね!

学生時代はガンプラもちょくちょく作っていました!

好物はラーメン!最近は頻度が減りましたが学生時代はよく食べ歩きやってました!

皆さんの奈良のオススメのラーメン屋さん、よかったらぜひ教えてください!

 

少年~青年時代のボク

小学生時代

皆さんお察しの通り、僕は変人タイプの少年でした(笑)

独創性が強く、周りとは違うやり方で何かをしたりとマニアックな少年でした。

何かおもしろいものを見つけてはどっぷりハマる習性があったのは当時からです。

当時は遊戯王カードやポケモンルビーサファイア、ロックマンエグゼなどがブームで色々な友達と遊んでいました。

遊戯王はネットでランキング3位のプレイヤーに勝ってしまうぐらいハマりましたね(笑)

相棒はカオスソルジャー -開闢の死者-でした。

また、小学5年生の時に18年ぶりにが優勝したのは今でも覚えていますね!

当時は左のエース井川投手が好きでした!

勉強面では地頭は悪くはないという自覚はあって、当時は宿題以外の勉強はあまりしていなかった気がします。

それでもテストではいつも90~100点と高得点を取れていたので、この頃の思い上がりが中学入学後痛い目を見るのでした。

 

中学生時代

地元の公立の中学校に進学後、当時で9年間続けていた水泳を辞めて、中学入学後に入った剣道部に完全シフトしました。

中学三年間引退までちゃんと続けましたよ!2年生からは個人戦のレギュラーにも選ばれました!

部活動というよりはかなりゆるーい感じのクラブで学校側が力を入れてくれず

稽古はいつも早終わりで練習の鬼軍団・バスケ部に体育館を奪われていました(笑)

そんな部活の雰囲気に加えて交友関係は隣町の小学校の友達もたくさん増え、部活終わりはみんなでアホなことばっかりしていた記憶があります(笑)

当時、野球漫画のMAJORもブームでジャイロボールや!とか言いながら野球部か!って言われるぐらい剣道部で野球もしていました(笑)

それと中学三年間ではモンスターハンターのポータブルが大ブームで色んな友達としょっちゅう狩りに行ってました!

中3の頃からは思春期に完全突入して、髪の毛のスタイリングなんかにもハマり始めました。

 

話は変わって勉学面ですが、中学最初の定期テストでは大爆死したのを今でもよく覚えています。

60点台なんか、人生で初めての経験でした。

このままじゃマズイ!と思い地元の名門塾に入塾。当時は塾に行くだけで成績が伸びると思い込んでいました。

入塾直後は結果が出ずにまたまたこのままじゃマズイ!と思いちょっとだけ頑張って勉強してみました。

中学の範囲は大したことなかったようでみるみるうちに成績は伸び、中2からはクラス1、2位争い、学年TOP5争いの常連でした。

当時の得意科目は英語、ネイティブの先生の授業で英単語でしりとりをしようという課題では

僕一人でクラス30人が束になってかかってきても全く寄せ付けない差で圧勝したのはよく覚えています(笑)

五科目の成績としては文系なのに国語が苦手(波が激しかった)という自分でもよくわからない感じでした。

高校入試では塾で受講する科目数を増やしまくり、中3の一年間をまぁまぁ普通に乗り切って

南大阪屈指の難関私立高校と、地元トップクラスの偏差値70の公立高校にダブル合格を決め、公立の方に進学することを決めました。

 

高校時代

ここから、僕の人生の暗黒期の始まりですね(苦笑)

僕が進学した高校は当時偏差値70のヤンキー校、頭の良いヤンキーが多数進学してくるような高校でした。

○○中の副番、△△中の□□の女、みたいに男女ともに入学時点でお互いの顔を知っているような人も結構いました。

校則も染髪禁止以外特になく、非常にゆるい校風で高2あたりから全体の偏差値が激落ちするような学習環境でもありました。

僕も高2の時は偏差値が38くらいまで落ちたのを覚えています(笑)

 

高1の時は文化祭で悪役を演じ、クラスの演技派として覚醒するのですが親友と呼べるような友人はなかなかできず、

結局高校生の時は高校の友達ではなく中学時代の友達と野球やカラオケをして遊んでいました。

心の通じ合える友人は高校内ではあまりできないまま、徐々に不登校気味になっていきました。。

また、当時ポケモンのハートゴールドが発売したのも不登校に拍車をかけました(笑)

特に高2の時はポケモンのタマゴをひたすら孵すかジムに筋トレしに行くかの健康的な引きこもり生活でした(笑)

部活もやっていませんでした(最初は音楽系の部活をやっていたのですがいかなる理由でも早退するとペナルティというふざけた制度があったので辞めました)。

 

さて、当時の勉強の話に移りましょう。

一応、塾には通っていました。中学の時に通っていた地元の名門塾の高校部です。

当時、文系なのに数学がそこそこできるというなかなかふざけたやつでした(笑)

僕の通っていた高校は数学が非常に弱く、大阪の高校なんですが大阪の公立高校入試は数学だけめっちゃくちゃムズいのと、

高校の数学科だけなぜか欠点ラインが20点と、進むスピードだけやたら早いのと、数学が苦手な生徒を量産させるような環境でした。

周りには高2で理系をドロップアウトし高3から文転してくる人も結構多数いました。

高2の時点で数学が詰み、頑として私立文系に行く!と決めつけてる人も多かったです。

なので数学だけは完全に終わってしまわないように、危機感をもってそれなりにしっかりとやっていたと思います。

一方、中学時代あれほど得意だった英語は完全に鳴りを潜めました。

文法の授業はテストでも70点くらいは取れていたのですが、元は英語が得意だったからと復習はせず終い。

リーディングやライティング、オーラルのテストは壊滅的でした(笑)

単語は全く覚えられず、高校英語の修飾語句が大量に割り込んでくる文を訳せず。。

気付けば英語にものすごい苦手意識が芽生えていました。

 

そして時は経ち、高3へ。大学入試に臨むことになりました。

僕は塾の授業コマ数をとにかく増やしまくりました。高校入試の時の授業を受けまくれば成績は伸びる!という思い込みから。。

数学はそれまでの積み重ねがあった分、まだマシでした。

問題は英語と国語(現古ともに)。

現代文は浪人時代にも公私ともにお世話になる「師匠」に出会いました。

師匠は僕が今まで全くできなった国語の、現代文の正しい読み方を教えてくれました。

また、現代文以外にも様々な学問の知識を有しており、毎回の講義が本当に楽しみでした。

師匠は僕の人生観を180°以上変えてくれた本当に尊敬する人です。

この師匠との出会いをきっかけに僕は塾・予備校の先生を志すようになりました。

師匠はツッコミがすごいのと声がよく似ていることから「ハマちゃんの先生」と勝手に呼んでいました(笑)

現代文は師匠との出会いのおかげで少しはマシになったのですが、高3の秋ごろまで志望校を決めかねていたのも災いし、なかなか対策ができずにいました。

ただ、現代文も授業を受けるだけでちょっとは成績が伸びたので油断して復習はしていませんでしたが。。

 

一方、英語は一年間かけても全く進歩が見られませんでした。

単語帳を複数右往左往し、文法書も中途半端、塾の授業はまともに復習せず。。(言い訳としては授業の受けすぎで復習できなかった)

今思えば、本当にただの受験生の屑でした(笑)

それでも夏明けの模試は偏差値が53出ました。これで成果は出たと思い込んでさらに授業のコマ数を増やしました。

でもこれが悪夢の始まりだとは知らずに。。。

なんとなくわかってはいたんです。先ほどの53出た偏差値はたまたまだったということが。

それでも運が良かっただけとは思いたくなく、現実逃避を続ける日々…

しかし試験の日は決まっているので逃げられません。

人生初のセンター試験、漢字のキョソは分からず、苦手な英語は手も足も出ず、得意なはずの数学は奮わず、、、

見事撃沈しました。

 

センター試験失敗の後、国公立大学を完全に諦め私大特化へ。

この時点でもまだ志望校は固定できずにいました。

とりあえず簡単だと聞いていた関西大学と近畿大学へ出願。

もうこの頃から既に敗北を悟っていて、結果はお察しの通り。。。

精神的にも追い込まれ、余計に勉強が進まなかったのもあり、当時本当にヤケになっていたのは今でもよく覚えています。

関大と近大の後期入試も受けましたが、後期でも意外と合格るという大学と癒着丸出しのYゼミの営業トークを藁にもすがる思いで真に受け玉砕。。

さらに当時東日本大震災も起き、関西圏への影響は小さかったものの精神的なダメージは溜まる一方でした。

 

そして苦難の3月を乗り越え、やっぱり大学進学への夢は諦めたくないという思いから浪人をすることに。

予備校選びについてですが、当時は武田塾のような逆転合格専門の予備校、自立学習型の塾はなかったので

とりあえず河合塾、代々木ゼミナール、駿台のいわゆる三大予備校から選ぶことにしました。

今、時代の波に乗りに乗っている東進ハイスクールは当時は今ほど騒がれてはいなく、選択肢には入っていませんでした。

(実際「今でしょ」が流行ったのは大学入学後でした。当時から塾の先生を目指す僕は、

 「今でしょ」は絶対流行ると大学の友達にモノマネしまくっていましたが見事に流行りましたね!ノストラダムスか!(笑))

 

まず、代々木ゼミナールですが関大の後期入試対策無料講座での小手先のテクニックじみた解説を聞き、真っ先に無いなと選択肢から除外されました(笑)

(代ゼミさん、ごめんなさい!(笑))

また当時は文系の河合、理系の駿台と呼ばれていました。

文系の僕なら河合かな、と思ったんですが河合塾は現代文が非常に弱いと聞き、

(ただ読んで解くだけ、量をこなせばいつかはできる、という精神論もたいがいにしてくれと当時は思いましたね)

一方で駿台は授業時間は50分で集中力が切れない、講師の質は高く先ほどの「師匠」も出講している、さらに高卒専門校舎もある、

と聞き、以上の理由から一年間駿台にお世話になることを決めました!

 

 

さて、今回のブログタイトルは①、つまり②があるということです!

次回②の記事では浪人時代含む青年時代~成人時代の僕についてお話しできればなと思います!

受験浪人することが決まった奥村青年は見事、大学入試に逆転合格を決めることはできたのでしょうか!?

乞うご期待!!!

 

あっ、

ブログはまだまだ続くよ?(笑)

 

奥村校舎長の失敗から学ぶ大学現役合格の秘訣!

①基礎を疎かにすることなかれ。基礎が無ければ応用は有り得なし。

②志望校(目標偏差値群)は早めに決めるべし。

③テキスト類はこれと決めた一冊をとことん極めるべし。

④いつやるの?今でしょ!は遅い。1秒でも早くやれ。(特に英語)

⑤授業はあくまで「わかる」のみ。授業を受けたら”必ず”「復習」すべし。

⑥自ら手を動かさねば決して成績は上がるまじ。授業よりも自ら手を動かす自学自習の時間を確保せよ。

 

くらいかな。

皆さんも浪人したくなかったらこの失敗談を胸に!

受験勉強いつやるの?今じゃないよ1秒でも早く始めよう!

そして復習という名の自習の時間をきちっと確保すること!

 

次回予告

~~~~~~♪(BGM)

やめて!受験主要科目の英語が超壊滅状態の奥村少年のライフは0よ!

闇のゲーム…じゃなかった2回目の受験勉強で緊張と不安がつながっている奥村少年の精神まで燃え尽きちゃう!

お願い!死なないで奥村少年!

アンタが今ここで倒れたらどこにも行く大学はなくなるし両親や友達との約束はどうなっちゃうの!?

入試までの期間はまだ残ってる!

ここを耐えれば大学入試に勝てるんだから!!

次回! 奥村少年 死す

※夏頃には本当に死にかけます(笑)

受験勉強、スタンバイ!!!

~~~~~♪(BGM終わり)

 

ってオイイイイイイィィィィィ!!!!これってかの有名なネタバレ次回予告の丸パクリじゃねーか!!(笑)

 

 

 

 

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